恋は人を狂わせると言うが、まさしくその通り


 篭った嗤いに成歩堂の喉が鳴る。それすら、響也の欲求を煽る。思わせぶり襟元を付げていく首筋。揶揄するように嗤う男の顔。
「あ、成歩堂…。」
 余裕のない表情で自分を見つめる響也に満足して、成歩堂は響也の腕を開放した。両足に響也を挟んだままだったが、拘束するような力は入れなかった。そのまま身体を後ろに傾けて、支える為に脇に手を置き、響也の行動を待った。 
 響也は開放された方の手を成歩堂の太股に掛けると身体を反転させ、胸元に縋り付く。成歩堂を見上げた瞳は、その欲求の強さ故か潤んでさえ見えた。
「yes or no ?」
 細められた黒い瞳が弧を描く。己を欲する碧瞳が堪らない。
ゆるゆると響也は右手を上げた。成歩堂の肩に置いて、猫に似た仕草で身体を擦りつける。自分の血は、またたびかと思うと口端が歪んだ。
 響也の中にある理性を飛ばし本能のままに狂わせる。相手が吸血鬼であろうとも、そんな姿態を見せつけられて、冷静でなどいられない。

「yes」
  
 吐き出された息は、答えと同様に成歩堂の身体を芯から熱くする。クスリと嗤って、目を閉じた。
「いいよ、おいで。響也くん。」


 許可が出た途端、がっつきそうになる自分を響也はなんとか押さえ込んだ。乱暴な事をして、これっきり血をもらえなくなってしまっては堪らない。
 ゆっくりと成歩堂の首を抱き込み、丁寧に首筋に舌を這わせる。表面をチロチロと舐められるのは擽ったいのか、成歩堂が小さく身じろいだ。
「…。」
 思わず伺いをたてる仕草で成歩堂の顔を覗き込めば、漆黒の瞳は嗤っていた。
右に傾いていた成歩堂の身体が完全にソファーに凭れかかったと思うと、頭を撫でられる。ワシャワシャと髪を掻き混ぜられて、子供扱いをされているのは少しばかり癪だ。歯を立てずに、カプリと甘噛みをした。
「悪い吸血鬼だね。」
 途端に、なでるだけだった成歩堂の指先が、くっと響也の後頭部を掴む。
(悪霊)に良いも悪いもあるものかと腹の中で毒づいていれば、強い力で引き寄せられ、べろりと耳を舐められた。
「ひゃっ…!?」
 耳を隠して、男から離れようとするものの成歩堂の腕が剥がせない。そうこうしている間に、ねっとりとした熱い塊は、響也の耳中に入り込んで来た。
ぬるぬるとした感触や籠もっていく男の吐息が耳という皮膚を浸食していく。
「や、まだ、血を貰って、な…い。」
「僕が先に頂こうかな、と思って。」
 クスクスと嗤う声すら身体をおかしくしていくようで、響也はふるふると首を振る。跳ねる金の糸に、頬を擽られ成歩堂が笑みを深めた事を響也は気付かない。
「あ、んな事された後で…飲む気力無い。」
 (吸血鬼というのは怪力だ)と伝え聞いた気がしていたが、腕の中にいる若き吸血鬼の抵抗など成歩堂にとってはへでもない。同じ年頃(勿論外見だ)の若者相手に考えてもそう大差ない感じだ。
 成歩堂に対して、ある程度大人しい理由は色々あるだろうが、響也が吸血行為を覚えた初めての相手が自分だからなのかもしれない。吸血鬼の屋敷を思い付きで尋ねてから暫くして、ふらりと響也が成歩堂の教会に現れた。
 十字架が恐いだろうとは思っていなかったが、お構いなしなのには流石に笑える。それが真実だと思い込み、一心不乱に主に尽くす同僚に憐れみを感じた程だ。
 普通の客ををもてなす要領で彼を部屋へ通し、お茶を出してやれば目を丸くした。それが面白かったのか、いつの間にか頻繁にに尋ねてくるようになっていた。
会話を交わしてみればそれなり面白くて、成歩堂は響也が来るにまかせていたが、そんなある日、響也は唐突にこう告げる。

「ねぇ、アンタの血飲んでも良い?」

 度胸は据わっている方だと思うし、ピンチになるほど頭も冴える。ハッタリはお手のもの。けれど、流石にこれには度肝を抜かれた。
 吸血鬼に血を吸われれば、彷徨える死者になるというのが此処での常識だ。
響也の動向からいくつもの常識が、全くあてにはならないものだとわかっていたが、命は惜しいし、ゾンビになるのも願い下げだ。
 顎に手を当て、脂汗を流して思案している成歩堂に、響也は契約をしないかと持ち出した。
(血を貰う代わりに、何かアンタにあげるよ)
 そうまでして、自分の血が欲しいのかと聞いた成歩堂に、響也は生まれてから一度も人間から吸血行為をした事がないと告げたのだ。それなら他の動物からでも貰ったのだろうと思っていれば、響也の答えはこうだった。

「兄貴が直接人間から血を飲むなんて、不潔だって言うんだもん。」
 あまりのらしさに、高笑いが出てしまった。わざわざ、人間から搾取した血を洗浄して飲んでいると聞いて、更に笑った。
 高貴を求める余りの愚かさと言ったものだろうか。
 どんな綺麗事を並べても、人間である自分も他の命を奪って生命活動を続ける非道な生き物。勿論それが生きるという事だと自覚している。だからこそ、そこを直視せずに、奇麗事を並べる事に失笑を禁じ得なかったし、素直に血を欲しいと告げる響也に好意を感じた。

「ゾンビにならない?」
「ゾンビって何?」
 
 成歩堂の返事を待つことなく、首のホックを外そうとしていた響也が不可思議な表情でこちらを見つめる。伝承の真実とは、一体どのアタリにあるのかと思索に耽る成歩堂はなんとか首と鎖骨を露わにした若き吸血鬼に、静止を掛けた。
「何?」
 目の前の獲物を(お預け)されて、頬を膨らませる。それでも、躾の行き届いた彼は、じっと成歩堂の言葉を待った。
「…だから、僕に何をくれるの?」
 顎に手を当てて探る表情で見下ろせば、響也はニヤリと嗤った。

「何が欲しいの? 金? 名声? 女? それとももっと物理的なもの?」

 思わず唸る。かなり魅力的なラインアップではあった。
人間の慾を知っている当たり世間知らずの若造ではない。それに、叶えられないだろうとも思わなかった。何せ、彼等は前時代の(神)の末裔なのだ。
「なんでも良いの?」
「そんな事で良いならね。あ、アンタは頭が切れそうだから言っておくけど、無限に願いを叶える約束とかは駄目だからね。」
「ハハハそれは残念。そうだね。血の代わりに欲しいと言えば肉かな。」
 小首を傾げた響也の顎に指を掛け、引き寄せると同時に唇を重ねる。
悪霊である響也の唇はひんやりと冷たく。それでも、死人よりも確かな生を感じた。目を見開いて成歩堂を写す碧が、たまらなく綺麗だった。
「君が欲しい。」
 開放した唇は荒い息を紡いていた。成歩堂の問いに、響也は紅潮させた顔を了承の為に動かした。
 

「…ぅ…ン。」
 弾力を持つ肌が、牙を弾いた。
皮膚を切り裂くこの一瞬、成歩堂は確かに痛みを感じる。皮膚よりも熱い液体がドロリと体内から溢れていく。
 響也の表情を見る事は出来ないが、きっと恍惚とした顔だろう。興奮している証拠に、身体を軽く前後に揺すっている。金色の髪がサラサラと頬を撫で、しがみつく腕に力が籠もる。血を…というよりも肌を吸われているような感覚。
 傷跡に吹き込まれている響也の吐息が、何かいかがわしい薬にも似て、じわじわと身体を熱くしていく。
 待ったなしの欲望が、成歩堂の指先を操って響也の服に忍び込ませた。
「ン…ン…。」
 それでも、成歩堂の血に夢中になっている響也は気付かない。
 開けられたままのシャツに差し入れた指は上に、もう片方の手はベルトを外しに掛かる。前をくつろげ、ズボンの中に手を差し入れられた時点で、響也は成歩堂から顔を離した。
「成歩堂…! 僕まだ、少ししか飲んでな…い!」
「まぁまぁ、終わったら、飲ませてあげるから。」
 ニコニコと笑って、体勢を逆転させた。響也をソファーに押し倒して、今度は自分が彼の首筋に唇を埋める。
「…や、ずる…い!」
「だったら、他の奴にも血をもらえばいいんじゃないのかな? 僕だけじゃなくて。」
 抵抗する響也が面白くなくて、思ってもいない事を口にしてみた。
本当は響也の姿態を他の奴らに見せるなんて絶対に嫌だ。初めてだと響也は言った。ならば、このまま自分だけのものにしておきたい。それが本音だ。
 最も、響也自身がどう考えているのかは知らないが。
 しかし、響也は困った表情で眉を寄せる。
「…そ、そんな事言われても、僕は、成歩堂…が…。」
 ボソボソと消えいりそうな声で呟く。

 君は、それがどんな殺し文句だと自覚して言っているんだろうね? 吸血はちょっと我慢して。だって、欲しくて欲しくて我慢出来ない。
 
 恋は人を狂わせると言うが、まさしくその通り…なんだ、かんだと理屈をつけてみたところで、僕はが年若い吸血鬼に夢中であることに変わりない。
 聖職者である自分が悪魔と精通するなどなんという背徳と、人々は僕を糾弾するだろうか? 姦淫してはならないなんて記述もあるものね。
でも、そんな事はないだろう。
 恐れ多くも『主』はのたまったではないか。

汝の敵を愛しなさい。


〜Fin



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